日比谷公園の野外音楽堂が薄暮に沈む頃には既に長い行列が出来ていました。
霞門から図書館へと向かう小道に沿って大小様々なテントが並んでいました。
2009年1月3日。
例年になく穏やかな年明けとはいえ、日が落ちると辺りは急速に冷え込んできます。
炊き出し画行われる本部テント前には石油ストーブが置かれ、わずかな暖を取れるようになっていました。
今夜の献立はけんちんそばとおにぎりだということでした。
暗闇の中からアコーディオンを伴奏にした「ふるさと」のか細い合唱が聞こえてきます。
道行く人に売り子が必死に声をかけています。
拡声器による業務連絡と、神経を逆なでするカメラマンのフラッシュ。
それを除けば500人もの男達が集まっているというのに、辺りはくすんだ静寂に包まれていました。
皮肉なことに変えるべきふるさとがないからこそ、彼らはこの公園に吹き寄せられてきたのです。
世界金融危機に端を発した景気後退によって世界最大の消費市場であるアメリカ経済は失速し、自動車や電機などの輸出産業は前年比4割に迫る未曾有の販売減に襲われました。
積み上がる在庫を前に生産ラインは停止し、期間契約の労働者の雇用が相次いで打ち切られたために、社員寮の退出を求められ、行き場を失った者たちが街に溢れるようになったのです。
そのため12月31日から1月5日までの期間限定でボランティアたちが越年の避難所を厚生労働省の目の前に設置したのです。
首都の中心に忽然と出現したテント村に私たちが衝撃を受けたのは、それが戦後日本の行き着いた先を象徴していたからです。
敗戦の焼け野原から高度経済成長期に向かう中で、日本人はふるさとを捨て、家族から離れ、「会社」という疑似共同体に身を投じていきました。
会社への忠誠心と一体感が奇跡的な経済成長の原動力となりました。
そしていま、私たちを拘束し、抱擁してきた家としての「会社」からは切り離され、残されたものは逃げる場のない孤絶でした。
地下鉄の階段に座り込んで、夜明けを待つ若者には、迎えてくれる家族もなければ、頼るべきただ一人の友人すらいない。
戦後60年の繁栄を経て、私たちは荒海を漂流する小舟の様な、寄る辺なき境遇に辿り着いたようだ。
テクノロジー急速な進化とグローバル市場の拡大によって、世界の姿は急速に変わりつつあります。
それに伴って、欧米や日本の企業は、年功序列や終身雇用で高い人件費を負担することが出来なくなってきました。
世界のあらゆる場所で、格差や失業が社会の伝統を大きく揺さぶっています。
会社を失ったとき、あなたには帰るべき居場所はあるでしょうか?
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